« November 2008 | Main | January 2009 »

December 28, 2008

坊村は雪国だった

先日買った靴の試し履きorならし履きに、比良山にゆこう。
金曜日、ネットの天気予報を見てると、冬型気圧配置とかなんとか書いてありますが、
滋賀県大津市は、晴れマークだし、
ま、比良山だし大丈夫だろう、と出かけることにしました。

京都の出町柳駅を出て、坊村(=比良武奈が岳の登山口)行きのバスを待ってると、
晴天ではあるものの、
はるか北山がうっすらと霞をかぶったように、白く見えています。

定刻きっちり7:45にバスは出発。途中、大原三千院の前を通過するあたりでは、
北山杉がうっすらと雪化粧をしていて、「今シーズン初めての雪だね」とかいって、余裕いっぱいでした。

ところが、花折峠の登り坂では、エマージェンシーランプを点滅させた車が渋滞の列を作っています。
前方でトラックがスリップしたのか、斜めに道を塞いでいます。

「安全のために、このバスもチェーンを巻きます」との運転手のアナウンス。
道の周囲は完全に雪景色になっていて、真っ白けのけ、です。
雪はさらに深くなり、15~20センチくらいもつもっています。ちょっと気分は、いやな予感です。


花折峠での待ち時間と、チェーン付き低速走行のために、
バスは、定刻を1時間弱遅れて坊村に到着。
IMG_0828

坊村の村の中でさえ、約30cmほども雪が積もっています。
「この天気が悪いときに、山には入るのかぇ?」
と村のおばさんが心配そうに、声を掛けます。
「雪が深ければ、直ぐに降りてきますから大丈夫ですよ」
スパッツとオーバー手袋を持ってこなかった儂も心配です。
とうぜんですが、アイゼンとピッケルも持ってません。
だって、まだ、秋山のつもりで来てるんですから。

帰りは、湖西線側に降りるつもりだったんですが、
坊村発の帰りのバスの時刻を確認してから、
出発。

「昼頃までに、御殿山あたりまで行けなければ、
帰りのバスにのれないので、撤退ですね」
もう、気分的には撤退決定です。

できるだけ、村の中でぐずぐずして、
バスでいっしょに降りた、3人組のパーティーに先に行ってもらうようにしむける。
だって、スパッツ無いのでラッセルできないんだもん。

この3人組の前に、もう2人入山していたようで、初めのうちはなんとか
靴に雪を入れずに歩けたものの、
植林地帯を抜けて、ぶな林になったころから、
雪がさらに深くなり、ところによっては膝よりも上まで。
稜線に近づくと突風で地吹雪のように粉雪が舞い上がります。
IMG_0834

12時ちょうど撤退開始、下りでは、登り以上に靴に雪が入り込み、
圧雪された雪が氷になって足首を締め付けてきます。
運動量が多いので、足先の冷たさはないものの、
はっきり言って足首が痛いです。
IMG_0839

坊村にたどり着くと、雪の中でお湯を沸かして野点。
IMG_0840
時間をつぶしてバス待ち。

バスが堅田駅につくと雪などまったくなく、
同じ大津市であっても山の向こう側とこちら側では、まったく違うことをじっかんしました。
帰りに大阪駅前でスパッツとピッケルガードを買って帰りました。
こんど行くときには、ピッケルとアイゼンも持って行こうと思います。

p.s. 教訓:坊村の天気予報は、「滋賀県大津市」ではなく、「滋賀県大津市葛川坊村」のピンポイント天気予報を見ること。あたりまえやんか


| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 23, 2008

spad xiii コケコッコ 完成!

今日は寒かったです。
風邪気味を良いことに、一日プラモ作ってました。

昨夜、ヒートンにテグスを仮通ししてみると、
予想通りに二重張り線が、中央の支柱と干渉して平行に張れません。
どうしたもんか?と悩んで、一晩寝ながら考えました。

今日一日(残業3時間あり)、楽しく張り線作業、完了しました。
本年中に無事、完工。
現在、完工祝賀宴会中です。♪♪

IMG_0816

IMG_0817

| | Comments (2) | TrackBack (0)

December 21, 2008

spad xiii

風邪気味です。

この土日は、外に出ず、SPAD製造に専念するも、完工にはあと一歩およばず。
今日はここまで...

画像 005

竣工祝賀会開催まであと1日くらいでしょうか?
工期がどんどん延びていってます。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

新しい靴、買っちゃった

アメリカ発、世界不況進行、景気最悪の今日この頃、
皆様、どうお過ごしでしょうか?
儂は、
少しでも世界経済活性化に貢献しようとの意図からではないのですが、
靴買っちゃいました。

画像 003

まだ、ゴアテの札がぶら下がったままの新品の靴に、
5年以上前に買ってから、一度も使っていないアイゼンをクッ付けてみましたの図。

後ろに控えてるのは、
K子さんの使い込んだ靴ですね。

この冬は、攀らないで、久々に歩くぞ、との決意表明。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 15, 2008

Father figures to be on his mind

ボストングローブの記事より,

僕らは,マット・キャッスルのことをあまりよく知らない。僕らは,キャッスルの父親のことを全く知らない。でも,僕らは,ほんの26才で父親を亡くしたとき,常に変わらない真実があることは,よく知っている。

キャッスルは,今日のフットボールの試合に参加するようだ。フットボールは,キャッスルの仕事だし,彼が愛するスポーツだからだ。この試合は,ペイトリオッツにとってはプレイオフゲームだといっても過言でないし,オークランド・レイダースをやぶって,ポストシーズンへとコマを進める位置にとどまるには,先発クオーターバックがゼヒとも必要だ。

キャッスルの父,グレッグは,先週火曜日,行政の手から見放されたサン・ベルナルディノに据え置かれたキャンピングカーで,一人,亡くなっているのが見つかった。まだ,57才だった。マットは,その時すでにカリフォルニアにいて,ペイトリオッツの翌日曜日の試合に備えていた。マットは練習中のチームを後に残して,彼の母と兄弟二人,妹と共に,一日,父の家に向かった。が,この木曜日,練習に戻った。葬儀は,ロスアンゼルスの北,ミッションヒルにて翌火曜に予定されている。

今日,マット・キャッスルは,五年前,ブレッド・ファーブが行ったことをやるはずだ。マットは,父ベリチクが2005年のペイトリオッツのホームゲームの前夜に死んだときに,ビル・ベリチクがやったことをやるはずである。悲嘆にくれながらも仕事に就くのである。父親の葬儀は明後日に行われるのではあるが,マットは,重要なゲームに加わることで,父を弔う。

ボストングローブ紙のボブ・ホーラー記者は,マットが負傷したトム・ブレディに代わった九月,グレッグ・キャッスルのモバイルホームで数時間を過ごした。ホーラーは,戸を叩いたときに,中からローリングストーンズの「ギミー・シェルター」が聞こえていたことを覚えているという。

ホーラーのみごとな記事からは,マットの父はテキサス・レンジャーの孫であり,第二次大戦の爆撃機パイロットの息子であったことが分かる。グレッグ・キャッスルは,テキサス州ラボックの高等学校でフットボールをプレイした後,ハリウッドのスクリプトライターになったが,大ヒットを飛ばすことはなかったようだ。また,彼は,馬の調教師でもあり,サンタスザナ山近くの4エーカーの牧場で,息子三人と娘を育てたが,大金を注ぎ込んだ映画プロジェクトに失敗し,家族は破産保護手続きを余儀なくされた。マットが14才のとき,ノースリッジ地震で家が全壊した二年後,マットの父と母は離婚した。

また,グレッグ・キャッスルは,子供が小さな頃,コーチであったこともこの記事から,分かる。常に変わらない真実が,ここにもある。

どのスポーツ中心の家庭とも同じく,父兼コーチによって,子供はゲームへと導かれる。父は,サークルベッドにファーストミットを置く。息子が三才の誕生会でピニャータの壺を割ろうとするのをビデオに撮る。スポンジのフットボールをベッドにほうり込み,「ファンブル!」と叫びながら,リカバリーに飛び込んでルーズボールを奪い合う。息子が裏庭の窓ガラスをライナーで割っても,怒ったりはしない。きつい負け試合の後には,選手皆を載せてディリークィーンへと連れて行く。

父兼コーチは,スポーツ精神を子供に刻み込む。自分の現役時代には運動選手がはるかに強く上手かったことを子供に話す。基本と公正の大事さを力説する。自分の息子や娘を自慢しようとはしないが,耐えられないほどの自慢話を始めることがある。特に,子供が回りにいないときには...。負けた試合はすぐに忘れ,勝ち星には尾ヒレが付く。自分の名選手がマウンド上で上手くやれていないように見えるときには,そのゲームでの良いところを楽しみ,考えることを思い出させる。

グレッグ。キャッスルの息子三人は,プロの運動選手に育った。ジャック・キャッスルは,ヒューストン・アストロズで投げている。ジャスティン・キャッスルはホワイトソックスのピッチャーである。マット・キャッスルは,12才のときに,リトルリーグの世界選手権まで進み,南カリフォルニア大からフットボールの奨学金を得,今日,21世紀のNFLで最も成功しているチームのクォーターバックである。

九月にホーラー記者がグレッグ・キャッスルのトレーラーにいたとき,父兼コーチは,プロ選手である息子らにメールを送るのに忙しかったという。

「私の息子達はずぶといんだよ。弱気になったりは,絶対にしない」グレッグ・キャッスルはこう言った。

どの父親も,子供の成功を見たいと思う。自分個人の落胆の後,グレッグ・キャッスルが誇りとしていたのは,息子がプロとして最高の水準まで登ってゆく姿であったとの想像は困難でない。

人生の終わりにあたり,グレッグ・キャッスルは,馬から放り出された後の肩の手術から,回復しつつあった。自分のモバイルホームでは,ペイトリオッツのゲームをテレビ観戦できないため,地域のカジノバーで観戦し,マットにメールを送っていた。

今日,ペイトリオッツの試合終了後,父からのメールが,マット・キャッスルに届くことはない。電話の向こう側にいた人は,もう居ない。父と息子の間で成功の瞬間を共にする十分な時間は,十分ではなかったし,もう訪れはしない。たった26才で父の死を知らされたときに,気づくことなのである。


p.s. キャッスルは,今日の試合のウィニングボールを大事に持ち帰ったという。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 10, 2008

冷静になって考えてみると...

東海岸時間7日(日)午後4時キックオフのPats対シーホークス戦を見終わり,どうにかこうにかpatsが勝利して地区内同率1位に返り咲いたことを喜んだものの,冷静になって考えてみると,このミツドモエの同率1位から残り3試合で勝ち抜ける可能性は,どれくらいあるのだろうか?との疑問が,朝6時からのライブ放送を見て少しボケ気味の頭の脇をかすめる。さらに,ワイルドカードを勝ち抜ける可能性は,どの程度あるのだろうか?

例えば,今8勝5敗のチームが,次に3勝10敗のチームとの試合があるとする。
このチームが次の試合に勝つ確率は,(8+10)/24であると見なす(これは,自分がこれまでに勝ってきた確率が8/12であり,次戦対戦相手がこれまでに負けてきた確率が10/12であることから,妥当な仮定であろうと思う)。
今後3試合の対戦相手が決まっているので,このような確率を各チーム毎に当てはめて,計算して,プレーオフに出られる確率を計算することができるはずだ。
と,ここまで考えてから,あらためて冷静になって考えてみると,...

こんなことを既に計算しているサイトがあってもよいはずでしょう。

ということで,見つけました。

プレーオフ出場可能性確率

これによれば,ペイトリオッツが出場できる可能性は,19.4%。
内訳は,東地区のミツドモエに勝ち抜く可能性が14%。
ワイルドカードに勝ち抜く(というか,レイブンズが連敗する可能性...)が6%

厳しいですね。
来年の1月,2月は,案外ヒマかもしれないです。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

December 02, 2008

blue sky on the west coast

突然仕事キャンセルを喰らって,
ヒマなので,ネットをブラブラしていると,
Guns'n Roses CHINESE DEMOCRACY on MySpace.com
というページにあたった。

久しぶりに,ロックを聴いてると,
懐かしくなって,
ちょっと明るめ,懐かしめのアメリカンロック集をFinetune上につくってみました。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« November 2008 | Main | January 2009 »